【はちとぴ】多摩ニュータウンの歴史とは?

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今回は、はちとぴ 第48号「特集 わがまち八王子探訪シリーズ“由木”」から、多摩ニュータウンの歴史についてご紹介いたします。

多摩ニュータウンの歴史

多摩ニュータウンは、東京都稲城市、多摩市、八王子市、町田市の多摩丘陵に開発された総面積約2880ha(うち約40%が八王子市域)に及ぶ大規模住宅地で、1965(昭和40)年に開発計画が決定されました。

1960年代の東京は、深刻な住宅難によって無秩序な開発が進んでいました。このような乱開発を阻止し、居住環境の良い宅地や住宅を大量に供給することを目的として多摩ニュータウンは計画され、1971年に多摩市諏訪・永山地区で最初の入居が開始されています。

同年、八王子市域でも由木土地区画整理事業の都市計画 決定がなされ、のどかな農村地帯は一気に近代的な都市へ と変貌していきます。地元住民は大きなうねりに翻弄され、さまざまな思いを抱えながらも区画整理や移転工事な どに対応しました。1976年には鹿島・松が谷地区で入 居がスタート。八王子市との合併当時(1964年)は6 千余人だった由木地域の人口は、現在、11 万人を超えるまで膨らんでいます。

多摩ニュータウンには、住宅地だけでなく、多くの施設も建設されました。1991年に南大沢地区に移転してきた都立大学をはじめ、大学が多く立地し、学生( 18 ~ 22 歳)人口が市内の他地域と比べて多いのが特徴となってい ます。また、道路や鉄道などの交通網やスポーツ施設を備えた大きな総合公園、小中学校、市民センターなどが計画的に整備、配置されてきたほか、南大沢駅や京王堀之内駅周辺にはさまざまな商業施設も並んでいます。特に南大沢駅前には2000年にラ・フェット多摩南大沢(現三井アウトレットパーク多摩南大沢)が開設され、市内外の多くの人びとを呼び込んでいます。

一方で、将来を見据えたとき、多摩ニュータウンは少子高齢化や建物の経年劣化など、具体的な懸案事項も抱えています。市では、2019年に「八王子市多摩ニュータウンまちづくり方針」を策定し、ベッドタウンとしての機能にとどまるのではなく、地域内で持続可能なまちづくりを進められるような計画を立てました。その発展の大きな原動力となるのは、まさに人。多摩ニュータウンは、ただ近代的な建物があるだけでなく、そこで暮らす人びとの営みがまちの空気感を生み出してきたのです。これからも新旧さまざまな住民によって新しいまちがつくり上げられていくことでしょう。

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