昭和の八王子を紹介!あのお店や八王子駅も当時から続いていたんです!!
昭和34年に誕生した
東京八王子ロータリークラブ
その例会プログラムにおいて先日、
会員である大用 増造さんが
昭和初期の八王子について語られました。
今回はそこで語られた
戦前・戦後の八王子の歴史を
当時の写真とともにご紹介していきます!!
昭和初めの八王子と路面を走る市電
昭和初期の八王子を地図で見るとこんな感じ。
現在の姿にいたるまでには
市町村の合併が行われているので
ずいぶんと小さく感じるのではないでしょうか…!
当時の人口は約6万人。
織物工場の進出などから人が増えつつありました。
当時は路面を走る『市内電車』の姿が!
昭和4年(1929年) 11月に開通されました。
👆通りを走る市電とその右手には
現在も市民に愛される魚屋『小田原屋』の看板が!
創業明治34年!! 八王子市民に愛される魚屋『小田原屋』
公開日: 2020.12.24
鮮魚から加工品まで種類豊富 八王子駅北口 徒歩7分。 大漁の旗が目印の小田原屋🐡 魚の切り身のほか焼き魚やキムチ、 大人気のさつま揚げなど様々ならんでいます。 買ってきてそのまま食卓に並べられるので 夕飯時にはつい立ち寄りたくなります🤤 店…
八王子~高尾までをつなぎ、
1区間6銭で乗車できたそう。
コーヒー1杯が10銭ほどだったので
日常的によく乗られるものだったのかもしれません🤔
お祭りの時には飾りをつけて走るなど
人々に親しまれていました。
八王子駅と戦後の街並み
昭和13年(1938年)の改築された
当時の八王子駅です。
駅舎は現在よりも少しだけ西側にありました。
今の場所になるのは昭和27年(1952年)のこと。
そして昭和20年(1945年)
アメリカ軍による大規模な空襲
八王子空襲の後に撮られた写真👇
右上の四角い建物の場所は、現在の八王子スカイホテル付近。
このすぐ傍に焼夷弾が落ちました。
👇右下に写るのは三菱銀行。
空襲で焼け野原となっていますが、
現在も続くビルやあの店はこの時代からのものなのか…と考えると
感慨深いものがあります。
いかがでしたでしょうか。
何気なく通る道には
かつて市電が走っていたのか…
なんて考えると不思議な気持ちになります。
八王子駅を利用するとき、街を歩く時など
そんなことを考えながら生活するのも案外楽しいですよ😊
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