高尾山からキリマンジャロへ! 5,000m級の山で味わった壮絶な体験
みなさんこんにちは。
高尾山帰りに寄りたい、焼鳥と燗酒のお店「味はる」店主のタツローさんが、仲間と一緒にキリマンジャロの登頂に成功した!とのこと。一緒に登った仲間の一人・マーシーさんも交えてうかがった登頂までの道のりは、驚くほど壮絶なものでした。
お二人の生々しい登山の記憶と記録、間違いなく一気見して、感動できます。
山好きの方、ドキュメンタリー好きの方、熱い話が好きな方は、ぜひじっくりとご覧ください。
前編はコチラ👇
高さ高尾山10個分!?キリマンジャロ登頂に挑む!焼鳥店『味はる』の自由人に緊急取材!
公開日: 2023.07.29
高尾山のガイド経験もあり、現在は高尾にある焼鳥の名店『味はる』勤務するタツローさんが、なんとアフリカ大陸最高峰のキリマンジャロ(タンザニア/5,895m)に挑むときいて、急きょ取材することに!キリマンジャロは、世界七大陸最高峰のひとつ。登頂…
登頂の記憶「山は白く冷たく、何も与えてはくれない」(マーシー編)
9月1日 出発当日
「エキセントリックなタツローさんとの出会い」 出発当日。仕事を16時前に切り上げ、成田空港に向かった。
JRの改札を出てから2万円分をUSドルに両替した後、定刻5分前に集合場所に行くと、感じの良さそうなおじさん2人、おばさん1人、子どもが1人いた。
そのうち1人はツアーリーダーの方で、タンザニアまでの往復および現地での登山を含む全てのアクティビティをリードしてくれることになっている。
たしか42歳くらい。 もう1人のおじさんは、鳥取で会社を経営している、穏やかな52歳。山が大好きで、過去にアルプスのマッターホルンに登ったことがあるらしい。
今回のツアー会社の同じプランで一昨年キリマンジャロに行ったらしいが、そのときは4日目に暴風が来て登頂を断念したらしかった。 おばさんと子どもは親子で、山梨に住んでいる。
集合してから航空会社のカウンターに向かっていると、裸足・サンダル・黄色の短パン・西武ライオンズユニフォーム・ロン毛のインパクトの強いおじさん(タツローさん)も合流してきた。タツローさんは脱サラして高尾で焼鳥屋をしているらしい。野球や沢木耕太郎の話で盛り上がった。
飛行機はエチオピア航空で、韓国の仁川、エチオピアのアディスアベバで2回乗り換えて、キリマンジャロ国際空港に至る。
成田から計24時間の長旅だが、乗り換えが多くて面倒なことを除けば、飛行機内での定期的なストレッチをしていればそれほどしんどくはなかった。
ドクターコトーの映画がやっていて、看護師役の生田絵梨花がかわいかった。
タンザニアに到着した。 気温は25度くらいでそれほど暑くなく、湿度も低く、過ごしやすい。
タンザニア文化を表す言葉として「ポレポレ(ゆっくりゆっくり)」というものがある。空港に着いた途端に実感させられたのだが、まず手配していたはずの送迎スタッフが1時間遅れでやって来て、その後も「空港に大統領が来るから通行止めになっている」と、本当かわからない話でさらに1時間待たされた。
まずはキリマンジャロ登山の拠点となる、モシという街に向かった。 やや大きな幹線道路沿いにローカルな雑貨屋やバイク修理屋などが並び、砂埃が酷かった。フィリピンで見た景色と非常に近いものを感じた。
ホテルはパークビューホテルというプチ高級なところだった。夕食・朝食を取ったが、日本のホテルで出ても高評価を付けられるくらいにおいしかった。
夕方、現地人ガイドのフレデリックさんがホテルにやって来て、簡単な説明を受け、夕食を食べて眠りについた。
ホテルに1泊して朝食を済ませ、現地旅行会社のオフィスにスーツケースを預けた後、ついにキリマンジャロの登山口に行った。今回使うのはマラングゲートという登山口で、そこからの登山道を『マラングルート』と呼ぶ。 現地コックが用意した、そこそこおいしいランチを食べて、登山が始まった。
9/4 登山1日目「独特のにおいのする小屋で熟睡」
初日の登山道は、やや湿った林の中を歩く形で、高尾山や丹沢の七沢のイメージに近い。途中で中日ドラゴンズのユニフォームを着た日本人のおじさんが現れ、西武ライオンズファンのタツローさんと歓談していた。
4時間ほど歩いて、1700mから2700mくらいまで登り、マンダラハットというところに着いた (ハットというのは小屋という意味らしい)。
ここでも、現地コックのアダムさんの料理をいただいた。
そのあと、全身をウェットティッシュで拭いて着替えてから、レストラン小屋の2階にある、20個ほどベッドのある部屋で、20時には雑魚寝した。
日本では味わえない独特な臭いの中だったが、無事朝まで熟睡できた。
9/5 登山2日目「ロキソニンへの、高まる信仰心」
ツアーリーダーから 「快適な山小屋 ( 寝床)を確保するために、早起きしてすぐに次のハットに向かう」方針を伝えられた。
まさに体現するべく、5時半起床、6時朝食、6時半出発となった。2700mから3700mのホロンボハットへと標高を稼ぎながら、約6時間の道のりを歩いた。
景色は、最初は低木から始まり、徐々に木がなくなってきた。
この日は、登山経験の差を突きつけられる1日となった。普段の登山では、すごくゆっくり歩き、30分に1回は休憩するゆとりスタイルでやってきた。
一方、今回ツアーリーダーはもちろん、鳥取の方は、直近富士山に登って高地順応のためにお鉢巡りを3周しており、山梨の親子も今年富士山3回、タツローさんも7月に海抜0mからの富士山を経験していた。それに対して、自分が使える武器は、サウナで鍛えた忍耐力くらいしかなかった。
快適な山小屋確保のためとはいえ、やや早足で2時間に1回の休憩で登るのはしんどかった。 2回目の休憩ではランチを取ったが、その後は軽い頭痛に襲われた。 ホロンボハットには14時前には着き、6人で貸切の部屋を確保できた。そのタイミングでロキソニンを飲んだら一気に体調が回復し、改めてロキソニンへの信仰心を深くした。
小屋で、タツローさんに借りた沢木耕太郎の本を読んで時間を潰しつつ、夕食をとり、美しい星空を堪能してから、20時半に消灯した。 南半球では、夏の大三角は見えないことを知った。
9/6 登山3日目「いま見えている星は、何万年も前の光」
高度順応のための半休養日である。 朝起きてから、往復3時間半程度の散策に出た。目的地は、ゼブラロックという、シマウマ状の地層が見える地点だった。
3700m越えの標高ではあるが、一泊した余裕からか、問題なくスケジュールをこなせた。
この日の夜も星がよく見えた。 山梨からきた女の子と、道端に寝っ転がりながら、「いま見えてる星って、何万年も前の光なんだよ」、というような話をした。
9/7 登山4日目「クライマックスはロキソニンとウィダーと西武ライオンズのユニフォーム」
いよいよ、クライマックスの始まりだ。いつものように早起きして、4700mのキボハットに向かう。
このくらいの標高からほぼ植物がなくなり、砂利を歩くようになってきた。
キリマンジャロ登山は、ここから先のスケジュールがおかしい。 15時ごろにキボハットに着いてから軽くお茶をして、3時間程度は高地順応のために散歩をする。
その後、夕食を経て22時まで仮眠を取り、23時から山頂に向けたアタックを開始する。高山病の症状はあまりなかったとはいえ、さすがに4700mの山小屋で平然と眠るのは容易ではない。 さらに、後から部屋に入って来た外国人がずっと談笑して眠りを妨げてくる。そんなこんなで、ほぼ徹夜のまま、5895mへの道を歩み始めることになった。 道中、ほぼ無風で寒さをあまり感じずに済んだことは、不幸中の幸いだった。
気温は-10度程度だったが、普段は風速10mほどで体感はさらに5-10度ほど下がるらしいからだ。
アタックの道は、基本的にずっと砂の上を斜めにジグザグ歩いた。結構昔の記憶だが、富士山と同じ感じだったと思う。
最初の2時間ほどは、ちょうど良い気温、圧倒的なスケールの星空のもと、気持ちよく歩を進めた。しかし、だんだんと眠気、疲労が襲ってくる。また、砂の道のため、頑張って足を上げて一歩を踏み出しても、滑り落ちて、もとの場所に戻ってしまうことが増えてきた。
さらに、先頭を歩く現地ガイドのフレデリックさんは歩くペースをまったく落とさず、休憩も1時間半に1回しか取らないのだ。後になって振り返れば、あれ以上休憩を入れたらその場で動けなくなってしまっただろうと思うので、感謝しているが、しんどかった。
結果、歩きながらほぼ眠りに落ち、前の人の膝から下の動きだけを見て、それをトレースするということを続けた。
そんな中、休憩時のウイダーには、感動した。正直、ここまで山には特に感動していなかったが、星空、ロキソニン、ウイダーには、はっきり感動した。 ウイダーを飲んだ後、15分間くらいは意識が明瞭になり、その間だけは、星空を味わうことができた。
歩き始めて4時間くらいで、タツローさんが限界を迎えた。休憩時に座り込んだまま、目を閉じて動かなくなってしまった。タツローさんは、見た目はエキセントリックだが、よく話しかけてくれる良い人だった。少し迷ってから、ウイダーを1本渡して、タツローさんを蘇生した。
限界とともに歩いて何時間経っただろうか。ゴール(の正確には一歩手前)のギルマンズポイントが見えてきた。
本当の山頂はウフルピーク(自由の頂)というところだが、その手前のギルマンズポイントで登頂証明書はもらえるため、キリマンジャロ登山のノルマの位置付けになっている。
ここから足元が砂から岩に変わり、それまでとは違うしんどさがやって来た。
パッと見、10分くらいで着きそうな距離なのに、標高5600mを迎え、体が言うことを聞かない(下山してグループで会話したとき、ギルマンズポイントの手前が一番きつかったと皆口を揃えた)
結局、1時間ほどかけてギルマンズポイントになんとか辿り着き、皆で座り込んだ。
岩場を登っていたときの記憶は、ほとんどない。人生で一番しんどかったのは、新卒1年目のときか、韓国時代の12月の孤独な夜の散歩か、鶯谷のサウナセンターだが、それらよりは確実にしんどかった。
そして、すぐにウフルピークまでのラストスパートが始まった。
一歩踏み上げるたびに、不可逆のダメージが脳にかかるのを感じる。苦しみというよりも、恐怖の感覚だった。
ウフルピークまでの、180mほどの標高を稼ぐのに、2時間ほどかかった。途中、グループのみんながいなくなり、ツアーリーダーと2人になった。ウフルピークの手前の丘でみんなを待つときに、ツアーリーダーは岩の上で眠りに落ちてしまった。ツアーリーダーが起きなかったらどうしようか?みんながやってこなかったらどうしようか?
ふと、周りに目を向けると、壮大な朝陽や分厚い氷河が見えた。楽しみにしていた景色だったが、心の底からどうでもよかった。 15分くらいして鳥取の方がやって来て、じきに全員が揃い、ツアーリーダーも目覚めた。
そこから10分ほど歩いてウフルピークに着き、記念写真を撮った。
タツローさんの念願だった『キリマンジャロの山頂で、西武ライオンズユニフォームを着て写真を撮る』という夢が叶って、本当に良かった。
ただ、無事にウフルピークに着いて緊張の糸が切れたのか、急に頭痛と吐き気が強くなって来た。また、坂を少しでも登るときの不可逆なダメージ感も強くなった。
下山は、ギルマンズポイントまで1時間かけて戻り、そこからキボハットまで2時間ほどで戻った。みんな山頂付近ではフラフラしていたはずなのに、なぜか快調に飛ばして下山していく。一方、自分はまったく体がいうことを聞かない。いつ岩から落ちてもおかしくないと感じていたが、みんなどんどんペースを上げるので、悔しさと苛立ちが込み上げた。
その後、さらに3時間半をかけてホロンボハットに到着し、そこで泊まった。重度の高山病患者となった自分は、抑え切れない頭痛と吐き気に苦しめられ、一切食事が喉を通らなかった。結果的に夜に何度か吐いたので、食事をしていなくて良かった。
9/8 登山5日目「サファリって、やっぱり最高」
最終日。体調は多少回復したが、普通につらいインフルくらいの症状だった。 計6時間ほどの道のりなので、何度も心が折れたが、降りるにつれて高山病の症状がよくなるという状況には励まされた。
そんなこんなで、マンダラハットを通過して、15時頃にようやくマラングゲートに帰ってきた。 みんなは、最後の山でのランチを食べ、バスに乗って街へと帰っていった。
ちなみに、下山した日は、アルーシャという街の高級ホテルに泊まった。夕食は、豪華バイキングで美味しそうな雰囲気だったが、食欲がないので味を確認できていない。運のいいことにダブルの部屋に1人で泊まれて、広いお風呂に浸かれて幸せだった。
次の日は、帰国予定日だが飛行機が夕方なので、それまで、近くのアルーシャ国立公園でのサファリツアーに参加した。
ゾウ、キリン、バッファロー、フラミンゴ、ヒヒ、シマウマなどが間近で見られてすごく楽しかった。 キリマンジャロ登山はみんなにおすすめはしないが、サファリは素直におすすめできる。
帰りの飛行機は特にトラブルもなく、無事に成田に着いた。 仁川での乗り継ぎのときからこの記録を書き始めて、いま品川の喫煙所で、この文章を仕上げている。
登頂の記憶「苦しさと、情けなさと、心強さと」(タツロー編)
応援してくださったみなさん、本当にありがとうございました。キリマンジャロの標高5895mを簡単に考えすぎてました。。。
泣きながら、鼻水垂らしながら、野糞しながらの、キリマンジャロ登山&タンザニア。こう振り返ってみても、マジでギリギリでした。
やっとメンタルが回復したので、この場をお借りして、 登頂のご報告をさせていただきます。
2023年9月7日の未明、標高5685mの『ギルマンズポイント(登頂証明書がもらえるほどの場所)』から『標高 5895m の山頂ウフルピーク』までの約200m。登っている途中で「こりゃ無理かも」とか「リタイア」っていう言葉が頭の中に何度も浮かんできた。
ちなみに、これが登頂証明書。
こんなこと、今までになかった。想像を遥かに超えていた。辛かった。
「話がちげー!」って、1000回くらい頭の中でボヤいた。気づいたら、嗚咽をともなう涙が止まらなかった。
一緒に登山していたメンバーから、1人だけかなり遅れていた俺の周りには、超スローペースに付き合ってくれているサブガイドのJamesがいるだけだった。
前夜の9月6日23:15に、標高4720mのキボハットを出発してから、7時間以上歩き続けていた。
すでに太陽は高々と昇り、ジリジリと地面と身体を照り付けていた。
俺はサングラスをかけ、周りに悟られないよう、声を押し殺して泣いた。ただ、James がそっと背中をさすってくれたとき、堪えていたものが崩壊した。溢れた出た涙が、止まらなかった。
アタックザックすら背負えなくなり、Jamesに持ってもらっているのに、3歩足を出したらまた動けない。情けなさや悔しさ「ゴールはもう、すぐそこまできている」という少しの安心感、そして、まだ何も成し遂げてもいないのに、「よくここまできた」という自分に対する感動。
そんなよく分からない感情が、ぐちゃぐちゃに混ざっていたんだと思う。その後の記憶はあまりないが、『自由のピーク』といわれる、憧れの頂上 ・ウフルピークで、自分が皆と 一緒にいる写真をみると、「ああ、奇跡が起きたんだな」と、いまでも思う。
前日までは、登山中も割と元気で、『このまま登頂しても、楽ちんすぎて感動も何もなさそうだなー』なんてナメた話をしていたが、そんな自分をビンタしてやりたい。ぶっちゃけ、キリマンジャロは甘くない。
登頂後、ギルマンズポイントまで戻ってきたあたりから、身体はボロボロだったが意識がはっきりしてきた。おそらく、高度障害だったんだと思う。
成田で合流した瞬間に、『あ、この人リタイアだろうな、お疲れ!』って勝手に思っていたマーシー。
真夜中に頂上にアタックする際、5000m を超えてへばってきた俺に、彼が甘い紅茶を飲ませてくれたり、ポケットにゼリーとジュースを突っ込んでくれたお陰で、完全な行動不能にならなくて済んだんだ。
本当に助かった。有難う。
山頂は辿り着くと、いつも 『人間やればできるんだ!』という自信と達成感を与えてくれる。
と同時に、様々な出会いや助け、運がなければそこに立てなかった、とも思う。1人の人間の小ささをこれでもかと思い知らされた。今回はメンバーと天候に恵まれまくったと思う。有難う。
下山は、2日間で5000m以上もくだる。すると、だんだんと、緑が増えてくる。物、色、音、匂い、湿度、酸素が 増え、この世界にはさまざまなものがあったことを思い出す。
上では苦しくて、苦しくて、どうしようもなく早く下界に帰りたいと考えていたのに、いざ戻ってくると 『ああ、下界に戻って来てしまった・・・』 なんて思っている自分がいる。人間とは、実にわがままな生き物だな、と思う。
下山後の翌日、午前中にメンバーの親子とお別れして、男4人でサファリツアーを満喫した。滅多に出会えないという象さんに出会えたのは、俺がガネーシャペンダントと象の尻尾の指輪をしていた からだろう(笑)
午後からは、その皆ともお別れして 1 人になった。宿や、移動手段の手配などのあれこれを、10年以上振りの海外、しかも初めてのアフリカでやるのは、キリマンジャロ登山とは、また別の緊張感や高揚感があった。
旅って、いいな。
拙い英語と、身振り手振りで、なんとか行きたい場所へ行ったり、買い物交渉したり、無事に帰国できた ことは、この旅で新たに覚えた言葉 『ハクナマタタ (スワヒリ語で「全然大丈夫!」「問題ないよ」という意)』を、アフリカから受け取れた証じゃないかと思えてならない。
最後に、少しだけ下山後に印象的だったタンザニアの魅力とこれからの抱負を。
工房全体が、カラフルな幸せで満たされている、ティンガティンガ村。
ここは、乗り物から降りた瞬間、大勢のタンザニア人が話しかけてくるから超ウザい(笑)
でも、活気に溢れていて、戦後復興中の日本みたいだった市場通りは、どこか『三丁目の夕日』を思い出させる。
ザンジバルのインド洋の海と街並みは美しく、ジャパニーズレストラン政は最高すぎた。 ネットで「凶悪都市」といわれていた。
タンザニア最大の都市・ダルエスサラームは、どこか懐かく憎めなくて陽気で、活気に溢れた街だった。
自分で感じるのが大切。夢を語るには、歳を重ねすぎたと少しは思っている。けれど、まだまだやりたい事は沢山ある。だから今後も、それに向かって生きて行こうと思う。
「本当はあそこまで行きたかったけど、行けないんじゃないか」という諦めや絶望感もあれば、「いやいや頑張ろう、だって俺それちょーやりたい事だし行きたいじゃん」なんて、自分を鼓舞する瞬間もあったりして。
ちなみに、いまイメージできているのは、エベレストと自転車旅。エベレストは、すでにイメージでは何回も登頂済み。自転車旅も、南米と豪州の一周を絶賛イメトレ中(笑)。 帰国してから、しばらくは疲労で腑抜けのようにダラダラと荷物も片付けもせず、ラーメン食ったり西武 ドーム行ったり、浅草で昼から酒飲んだりしてたけど、また少しずつ活動開始しています。
みなさん、今後ともよろしくお願いします。
(タツロー編・完)
キリマンジャロを振り返って
――今回キリマンジャロを登頂したタツローさんとマーシーさん。本当にお疲れさまでした。
体験記を拝見していると、いかにキリマンジャロ登頂が過酷かがよくわかりました。その分、登頂した感動も大きかったんじゃないですか?
マーシー「いや、正直景色とか、まったく感動しませんでしたね。登頂した時には、もう気持ち悪くて、景色を楽しむなんて余裕はまったくなかったです(笑)。もう、きつくてきつくて。。。」
タツロー「ホントにね。特にギルマンズポイントから山頂のウフルピークまでの約200m。平地にすればなんてことない距離でも、ここの200mはもう地獄。1歩足を前に出すだけで、どれだけ体力を消耗するか・・・山頂についた時には、もう記憶もどっかにとんじゃってるような感じだよね。」
――そんな中でも、登山中で、特に印象に残っていることはありますか?
タツロー「やっぱり、登るのがきつくなった場面での、マーシーの差し入れかな。本当にしんどくて、あれがなかったら、たぶん登頂を諦めていたと思うから。でも、成田で出発前に「最初に離脱する人だ」なんて思って、ほんとゴメン(笑)」
マーシー「いえいえ(笑)。僕は、なんといっても、タツローさんの 「西武ライオンズのユニフォームを着用して頂上で写真が撮りたい」という夢が叶ったことですね。あれはなんだか自分事のように嬉しくなりました。
あとは、登山中に見た満点の星空と、シェフのつくってくれたスープですかね。スープはとんでもなくおいしかったし、すごく助けられましたね。
ちなみに、タツローさんと語った旅の話や沢木耕太郎さんのこと。あれも何気に話が弾んだので、とても印象に残っています(笑)」
――キリマンジャロを登頂し終えて、あらためて月並みな質問をぶつけるのですが。お二人にとって「登山の醍醐味」とはなんですか?
マーシー「そうですね、あらためて考えてみると「マインドフルネスな状態になれる」ということでしょうか。登山には、その過程にある 「旅」や 「出会い」、「自然」「環境」など、すべてに自分を見つめる、自分と語らう内省的な時間があります。
雑念から解放され、いまの自分の状態をあるがままに受け入れられる機会は、自分の成長につながるような気がします。」
タツロー「僕は 『山は人を選ばない』ということですね。また、競争原理がなく、年齢、性別を問わず、自分で決めて、自分のペースで楽しむことが出来るということ。
季節ごとに美しく変わる山は一年を通した楽しみ方と魅力があり、それこそが山が好きな理由だと思います。
あとは仲間との絆というか、関係がすごく強くなる気がしますね。
やっぱり、過酷な環境に一緒に身を置き、共に時間を過ごすからこその関係というのか。まさにいまのマーシーと僕のような関係性が築けるというのも、登山の醍醐味なんじゃないかな。」――では、最後に、今後の抱負や予定について教えてください。
タツロー「もう、直近の目標は“エベレスト”です!最終的には七大陸制覇が目標ですけど、まずは世界最高峰のエベレストを目指します。自分的には、1年以内にはチャレンジしたいと思っています!みなさん、応援よろしくお願いします!」
マーシー「ぼくは2年後のエベレスト登頂が目標です。おそらく、またタツローさんと一緒に登ることになるんじゃないかな。だって、たぶんタツローさん、来年は失敗するだろうから(笑)
で、2年目に一緒に登ることになるんじゃないかなーって、そう思っています(笑)」
――(笑)お二人とも、エベレスト登頂が目標とは・・・すごいとしかいいようがないですね!でも、これからも応援しています!ありがとうございました!
タツローさんから、エベレスト登頂に向けてのお願い
みなさん、あらためまして、世界のてっぺんを本気で目指すタツローです。 2025年春、世界最高峰の山・エベレスト登頂を、ただの焼鳥屋が目指すことにいたしました。
今後の予定
2024年4月10日 ネパール ロブチェイースト(6119m)登頂
【目的】標高を6000m級を経験し、高地登山に身体を慣らすこと、エベレストは雪山登山となるため、事前にアイゼンやピッケルの使い方の確認すること。
【費用】約100万円
2024年秋頃 ネパール マナスル登頂(8163m)
【目的】エベレスト登頂に向けた事前対策。エベレスト登頂前に、8000m級の山をクリアしておく必要があるため
【費用】約350万円
2025年4月 エベレスト登頂(8849m)
【費用】約700万円+装備費(約100万円)
ここで、正直なお願いです。
エベレスト登頂までにかかる費用、約1,250万円の一部を、ぜひご支援いただけないでしょうか・・・。
完全に個人的な夢のために、見ず知らずの方々に対して本当に馬鹿げたお願いだとは思いますが、馬鹿にならないと数多くのけが人や死者を出している神々の山領(いただき)には挑めないと思っています。
本気でエベレスト登頂を目指し、八王子の名を世に轟かせたいと思っているので、ぜひ、八王子の皆さんに後押しをお願いしたいと思い、この場をお借りしました。
ご支援は、以下までお願いいたします!
住信SBIネット銀行 バナナ支店 1769586
普通 クボ タツロウ
また、よろしければ、高尾にある焼鳥「味はる」まで、ぜひお越しいただけましたら幸いです!
『味はる』旨味溢れるこだわりの焼鳥&選りすぐりの燗酒が最高
公開日: 2022.11.14
「この冬、絶対に行くべきだっ!」と断言したい店 今年10月にオープンしたばかりの味はるさん。 カウンターで焼鳥を焼くのは、西八王子で惜しまれつつも閉店した『燗鶏道(カントリーロード)』の元店主・タツロウさん。 こちらでは、取り扱う鶏肉・お酒…
WRITER 投稿者