約80年を経て新たな犠牲者の名が判明 湯の花トンネル列車銃撃事件

約80年を経て新たな犠牲者の名が判明 湯の花トンネル列車銃撃事件

2月4日(火)の読売新聞多摩版に大きく掲載された「列車銃撃・碑に新たな名(八王子のトンネル)」を読まれた読者も多いと思います。その後の反響も含めて「いのはなトンネル列車銃撃遭難者慰霊の会」の齊藤勉会長に話を聞きました。

記事を読めなかった方のために、もう一度この今回の内容を説明します。

新たな犠牲者が明らかに

湯の花(いのはな)トンネル列車銃撃事件とは、第二次世界大戦末期の昭和20年8月5日午後12時20分頃、中央本線の湯の花トンネル(八王子市裏高尾町)でアメリカ軍のP51戦闘機4機が満員状態の列車に対して機銃掃射を加え、死者52名、133名が負傷した国内最大規模の列車襲撃事件です。

同会のその後の調査で犠牲者が60名を超えていたとみられ、不明者が多数いることが分かります。1992年に現場近くに慰霊碑を建立し、確認できた44名の名前が刻まれ、それ以降に判明した犠牲者はありませんでした。

そんな中、新たな犠牲者が明らかになり、1月27日、東京八王子南ロータリークラブの協力により、まだ遺族による本人確認ができていなかった方3名を含め4名の名前が碑に刻字されました。

慰霊碑に新たな犠牲者4名の名が刻まれました(写真提供:齊藤会長)

魯迅(ろじん)のデスマスクをとった医師の長女

銃撃事件から約80年。明らかになった犠牲者の名前は、奥田新子さん。その経緯を詳しく聞きました。

■慶応大学名誉教授で魯迅の研究者である長堀祐造先生が、一昨年、魯迅のデスマスクをとった歯科医師奥田愛三の三男・昇氏にインタビューをした際、長女の新子さんが米軍機の機銃掃射で亡くなったと聞きます。

■昨年、昇氏が取り寄せた奥田家の戸籍から、この空襲で亡くなったことが判明(死亡場所、日時等で確認)。

■長堀先生は、総務省の情報・画像、その他のサイトの画像から、慰霊碑に奥田新子さんの名前が刻まれていないことを確認し、齊藤会長にメールで知らせました。

「昇氏は『姉には会ったこともなく(昇氏は当時2歳)、人となり、なぜ乗車していたのか、遺骨をどのように引き取ったのかなど全く知らない』とのことでした」と齊藤会長。

更にもう一人

この話には続きがあります。この事がNHKで放映され、「私の父もあの銃撃事件で亡くなっています」と連絡があったのだそうです。新たに明らかになった犠牲者の名前は田村米蔵さん。

「犠牲者名の大部分はテレビ、新聞報道でご遺族、関係者がこの空襲を知り、情報提供があって判明しています。田村さんの名前も今年の慰霊祭(8月5日、9時半~12時予定)までに刻字したいと思っています」と齊藤会長。

もし、新たな情報をお持ちの方がいましたら、よみっこ編集局(090-9248-3441)にご連絡ください。(中塚)

銃撃事件現場近くに建立された慰霊碑(慰霊祭は8月5日)

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地域情報紙「よみっこ」

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