八王子の水道はここから始まった!『元本郷町浄水場』へ行ってきた
大正15年に着工、昭和3年に給水開始──八王子の水道のルーツをたどれる「元本郷町浄水場」を訪問!現在は東京都水道局の施設として、日野市と八王子市の水道業務を担っています。地域の安心を支える水の歴史がここに!
水道の歴史
大正6年。東京市に次いで2番目に市制を施行した八王子。人口増加、火災、伝染病の発生、織物等の工場建設など、水道事業の必要性が高まるものの、膨大な予算が必要ということで見送りが続きます。しかし、関東大震災を一つの契機に、ようやく大正15年、南北浅川の合流点を水源とした工事が開始され、昭和3年に給水が始まります。当時の建物がそのまま残っている場所があります。それが今回訪れた「元本郷町浄水場」のポンプ棟です。水は標高の高い散田町の給水場に送られ、自然流下で市域の中心部に給水されました。最初はわずか845世帯2028人(当時の八王子の人口は48617人)に過ぎませんでしたが、これが八王子の近代水道の始まりです。
ここが八王子の水道の発祥の地(昭和3年に作られたポンプ棟)
その後、浄水場を各地に建設し、昭和45年までは市内の水源でまかなっていましたが、開発する新たな水源がなくなったことから都からの分水を受けることになります。(現在は都の事業に完全移行しています)【参考文献:八王子市水道八十年の歩み】
現在は東京都水道局八王子給水事務所
市役所の近く
場所は、市役所の南(日吉交差点)を北東に入って突き当り。門から右に進むと当時の門扉がそのまま保存され、中には水神様。奥にあるのが、今回のお目当てであるポンプ棟。
「水道業務は基本的には市町村単位で行われていますが、都営水道一元化により、平成20年より八王子市の水道業務は都に完全移行し、現在ここは、東京都水道局八王子給水事務所として、八王子市・日野市の水道業務全般が行なわれています。このポンプ棟は現在は稼働していませんが、必要時にはいつでも使用できます」と説明してくれたのが今回の案内役、小原さん。
門扉が当時のまま保存されています
水は東村山から
私たちの家の水道水はどこから来ているか、聞いてみました。「八王子の水道水はほとんどが、東村山浄水場と小作(おざく)浄水場(羽村市)から供給されており、よみっこのエリアはほぼ東村山浄水場からで、多摩川、荒川、利根川の水がブレンドされています」とのこと。
大災害時には 実は、この敷地内には当時の物がもう一つあります。敷地奥にある緩速濾過池(ゆっくりした速度で砂層に水を通し水をきれいにするための池)です。「以前は3つありましたが、現在は2つを埋め立て、大災害時の復旧のための備蓄倉庫を建設しました。大震災が起こり水道が止まったら、おおむね2週間で復旧することを目標にしており、そのための訓練を毎年2回行っています。1回は職員が出勤している平日、あと1回は土日です」とのこと。
小原さんは、阪神淡路大震災後に防災担当をしていた関係から多摩地区の各地に災害時に必要な資材の備蓄倉庫の整備に尽力したそうです。小原さんら職員から伝わってくる使命感に、感謝と頼もしさを感じるとともに、当たり前に届く美味しい水の貴重さを改めて実感させられる取材でした。
敷地内に祀られた水神様
当たり前のように蛇口から出る水だけど、その“はじまり”を知るとちょっと感慨深い!水のありがたさ、改めて実感しました。
WRITER 投稿者
八王子を中心とした超地域密着型(ハイパーローカル)の地域情報紙です。新聞配達の流通を使い週6日発行・お届けをしています。※現在は読売新聞の購読者に限定して、朝刊に折り込む形で発行しています(日刊:5,000部)。八王子(主にめじろ台1~4丁目、緑町、山田町、椚田町、狭間町、館町、小比企町、寺田町、大船町、西片倉2~3丁目、みなみ野、七国※一部分に配布されないところもあります)に配達されています。